コミトミコお母さんの試行錯誤

使っていない頭を動かして、考えたことのまとめブログ

親の愛がこどもには重かったりして。

こどもがだんだん大きくなってきて、

上のこどもと下のこどもは

同じ親から生まれたのに、

全然違う人になってきたし、

ちゃんと自分の思いを持つようになった。

 

今までこどものためを思う気持ちに従って、

よかれと思うことをしてきた。

小学校に入り、

ひらがなが書けなくて困ってはいけないと

いやいやのこどもをなだめながら、

ひらがな一字を練習させるのに

苦労した。

 

こどもが習い事がしたいといったら、

毎回送り迎えをして、

活躍できるよう、応援したり、

怠けていたら、叱った。

 

学校の懇談会で先生に

言われたことを真剣に聞き、

こどもが将来自分で

生きていける大人になれるように

こどもに向き合ってきたつもり。

 

こどもには元気に育ってほしい、

やりたいことをやらせてやりたいと思って、

愛情を持って、

子育てを自分なりに頑張ってきた。

 

でも、子育てって、

親が自分の時間も

やりたいことも捨てて、

稼いだお金をすべて

こどもに捧げなければならないのか。

 

こどもにもしほんとうに

やりたいことがあれば、

こどもはそれを何が何でもやるだろう。

親が何と言おうとやるだろう。

親として金銭的にそれを助けてあげられたら、

それはいいことだろう。

もし親がそれを助けてあげられなかったら、

こどもはどう思うのかな。

恨むのかな。

恨んでも、

それはこども自身が

他のことを探すなり、

違う方法を見つけるなりして、

自分で折り合いをつけて

人生を生きるしかない。

 

いくら親を恨んだって、

自分の人生を生きるのはこども自身。

誰も責任は取ってくれないのだ。

 

今まで親としてこうあるべきという

固定観念に縛られていた気がする。

 

こどもだって、親がこどもにすべてを捧げて、

つまらない人生を過ごしていたら、

変な気持ちになるんしゃないかな。

 

わたしはわたし。

こどもとは仲良く暮らしていきたいけど、

こどもに捧げる人生を過ごして、

何か後悔することがあっても、

それは自分の責任。

こどもはわたしの人生を

返してくれない。

こどもはわたしの一部ではない。

わたしはこどもの一部でもない。

お互い違う人生を生きているということを

しっかり理解しておかないといけない。

 

わたしは自分の責任で自分の人生を

精一杯生きたい。

その前提の上でこともとは仲良く暮らしたい。