コミトミコお母さんの試行錯誤

使っていない頭を動かして、考えたことのまとめブログ

こどもとお母さんは平等なのよ

今日、ちょうどこどもの

頑張っているところを見て、

悔しいと思ってしまった。

 

親になると、

なんだか自分は表舞台から退いて、

こどものサポート役になるものだと

思っていた。

たぶんわたしの親はサポート役に徹して

そんなに練習もしていないピアノや

その他の習い事の送り迎えを

してくれていた。

わたしはそれを当たり前に思っていて、

そんなに感謝の気持ちもなかった。

今自分が親になり、

いろいろな面倒くさいことを経験して、

母がしてくれたことは

とても大変なことだったんだ、

ありがたいことだったんだなと思える。

でも、こどもの頃は何とも思っていなかった。

 

だから、

あんまりこどものためだけに動くのは、

自分にとってよくないと思っている。

 

たとえば、習い事の送り迎え。

こどもの習い事の付き添いにきている親が

ぼんやりしているのを見ると、

こどもはそんなにありがたがってないし、

自分の時間を注ぎ込みすぎると、

嫌にならないかなあと思ってしまう。

 

そんで、思ったのは、

やりたいことを追いかけている親の方が

こどもはうれしいのかなということ。

 

わたしは大人になり、

読書を趣味にした。

難しい本ではないし、

読んだからってどうってことはない。

でも、毎日本を読む時間を探して、

読み始めるが、一日中の疲れで

寝落ちする毎日。

でも、続きを読みたいと思う

ワクワク感がある。

そうすると、こどもが隣に来て

好きな本を読み出す。

お互い好きなことをして、

でも、となりにいる。

これはとても平等な愛がある。

こどもが好きなおもちゃで

遊んであげる(自分は楽しくない)

のとは違う。

 

こどもといっしょに将棋を始めた。

お互い始めた時は初心者。

あっという間にこどもに抜かれ、

わたしよりあとに始めた下のこどもにも

抜かれてしまった。

でも、こどもに負けると、悔しい。

わたしは弱いままだけど、

こどもはバカにしたりせず、

いいやり方を教えてくれる。

これも楽しい時間。

もっと、強くなってくれれば、

うちにいる先生みたいに

なってくれるかもしれない。

 

こんな生活は

こどもの成長を願うだけではない

自分の部分があるような気がする。

 

わたしは、負けず嫌いなのか

まじめなふりした心はこども人間なのか

こどもに対して、悔しい気持ちになる。

おい、自分よ。

もっとがんばれよ。

完全にこどもに負けてるよと。

 

その方がこどもとの関係もいい気がする。