コミトミコお母さんの試行錯誤

使っていない頭を動かして、考えたことのまとめブログ

家事は家族みんなですれば心穏やか

こどもが晩御飯のおかずの

豚肉のソテーのどちらが大きいかで

小競り合いをしている。

 

毎日毎日同じことの繰り返しで、

いやになる。

ため息をつきながら、

ふと自分がこどもだったときのことを

思い出した。

おやつのキスチョコ

(1センチほどのしぼりだした形のチョコ、

一袋にチョコの粒がたくさん入っている。

今も売っているのかな)を

一粒ずつ数えて兄弟とわけ、

チョコの数が奇数だったら、

じゃんけんをして、

どちらが最後の一個を

食べるか決めていたわたし。

わたしも全く同じことをしていたのだ。

残念な気持ちにはなるが、

親子だから、こればかりはしょうがない。

 

親になった今、わたしは成長し、

肉の大きさでけんかはしない。

ただ、夫婦で家事の量が

偏っているのは許せない。

自分の家事の量が夫より少ないのも

気持ちが悪い。

 

わたしたち夫婦はこれで

よくもめている。

細かいし、確認事項が多いので、

擦り合わせはかなり複雑だが、

これがうまくいけば、

忙しくても、心が穏やかに暮らせて、

収入も1人分増える。

 

わたしの親世代は

この擦り合わせをするなんて

考えたことがない世代だ。

母は働きながら、

家事もこなしていた。

父は仕事で帰りが遅いし、

まず家事をするという前提がなかった。

 

わたしたち夫婦は

暮らしがなんとか回るなら、

共働き、家事も半分この

このやり方でやっていこうと思っている。

だから、そのための労力は惜しまない。

 

『名もなき家事』という言葉を

聞いて、うまくいったもんだと感心した。

家事の中には学校名もなき家事』が

たくさんある。

 

名前のついた家事、たとえば皿洗いなどは

夫と、こどもにも

やらなきゃならない仕事だ

ということはわかりやすいようだ。

でも、たとえば、なくなった醤油の

ラベルをはがし、注ぎ口を取るといった仕事が

存在しているということは

家族に理解されていない。

 

わたしが少し頑張れば終わる

『名もなき家事』でも、

夫やこどもに伝えて、

夫やこどもにやってもらっている。

やってもらっているという表現だと、

通常、妻、母であるわたしがすることを

お願いしてやってもらっているという

感じがするので、正しくない。

もとい、夫やこどもと協力して、

みんなで家事をしている。

 

ここまで書くと、自分の器が

とてつもなく小さいってことを

思い知らされるが、

それでもいい。

こどものときから、

同じことをやっているのだから。

 

いつか心穏やかに

暮らせる日まで諦めないぞ。

 

ただ、それを目指しているうちに、

わたしが定年になってしまいそうで、

不安もある。