コミトミコお母さんの試行錯誤

使っていない頭を動かして、考えたことのまとめブログ

コロナとの闘いはまだまだ続くのでした

 

上のこどもが陽性になって、

家族全員が自宅待機になり、

自分も陽性になって、

かれこれ10日ほど、

トイレとお風呂以外はこの隔離部屋で

過ごしている。

靴を履いていない。

 

思い出してみても、

人生でこんなに長く

外に出なかったことはない。

 

わたしたち家族は

わたしと上のこどもが陽性となったが、

夫と下のこどもは

何とか発症はしないで

すみそうだ。

 

そして、明日からこどもたちは

学校が始まる。

これで、また下のこどもが学校で、

夫が会社や通勤で、

コロナになったらどうしよう。

今まで我が家は時が止まったように

なったいたが、

明日からはまたこどもが、

あさってからはわたしが、

来週からは夫が会社に出勤する。

夏休みが終わり、

世の中がまた大きく動き出す。

 

世の中経済を回すために

みなさんがあちらこちらへ

動き回っているが、

そのかげには

今日は168000人の人や家族が

この隔離生活を始めているのかと思うと、

つらい。

コロナになり、不安な人や、

症状がしんどい人や、

自分も感染するかもしれない不安を

抱えながら、大切な家族を看病する人がいる。

 

さらに、医療を維持している医療従事者の方、

コロナの対応をしている保健所の方、

役所の方、保育園や児童館の方や

スーパーで働く人や

ほかにもいろんな人たちが

社会を支えてくれている。

 

仕事を休む人の周りには何とかその仕事が

回るように、無理して頑張っている人がいる。

 

一日も早く感染者が減って、

前みたいに好きなところに

行きたい時に行ける世の中になってほしい。

 

とにもかくにも

わたしの隔離期間は明日まで、

これで元の生活に戻れるぞ

と思っていた矢先に

職場の人のコロナ感染がわかった。

わたしもその人もいない職場。

 

今日は仕事に穴をあけてしまったら

どうしようというストレスで痛む胃を

さすりながら、

代わりの人を探すために

いろんな人に連絡しまくった。

 

コロナとの闘いは

まだまだ続く。

 

みなさんもお気をつけくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナになったら、誰が家事をするの?

今日をもって、

わたしより先に

コロナ陽性となった上のこどもが

晴れて、隔離終了となった。

 

夫、下のこどもともう合流し、

コロナなどなかったかのように

バタバタと走り回っている。

 

そのうるさい音を隔離している部屋から

聞いていて、何事もなく回復してくれて

ほんとうによかったと思った。

 

あさってから始まる小学校にも

休まず通える。

夏休みの宿題については

おしりを叩いて、やらせてあったので、

心置きなく新学期が迎えられる。

早め早めにやるべきことを

終わらせるということは

こどものときのわたしの

一番苦手だったこと。

いつも夏休みの最後の日は

一人で宿題をしていた。

夏休みの最後のあの憂鬱な気持ちを

自分のこどもには

味わわせたくないと思い、

計画的に進めるように言ってきたのが

功を奏した。

 

さて、わたしの方は

隔離期間あと2日。

家事をしなくてもいいのは残り2日。

 

実はコロナ奮闘記の

影の立役者は夫なのである。

わたしが陽性になったということは

夫と下のこどもにうつすわけには

いかないので、

わたしは隔離部屋から出られない。

ということは、

家事は一切できない。

 

つまり家事をする人は夫しかいないのだ。

現在我が家の家事は夫が

全て行っている。

 

毎日の洗濯、ゴミ出し、朝昼晩の料理、

掃除、洗濯物の片付けなどに加えて、

隔離部屋までの食事運び、

コロナ陽性のわたしと上のこどもが

トイレや洗面所を使うたびの消毒、

つまらなそうにしている下のこどもの

遊び相手もしている。

 

夫も自宅待機しなければならず、

出勤できないので、

在宅で仕事をしている上にだ。

 

我が家は共働きなので、

家事はほぼ半分ずつになっていた。

そのおかげで、

家事は何でもできるので、

家事全部を担当してくれているのに、

日頃食事を担当しているわたしの苦労が

わかったとも言っていた。

急にここで褒められて、

妙な気持ちになった。

 

わたしがコロナになる前のことだ。

わたしがすでにコロナになっていた

上のこどもに食事を運んでいる間に、

夫はほぼ食事を終わらせていた。

わたしは我が家にコロナがきた

という恐怖からくるストレスも相まって、

何て気が利かないんだとブチギレてしまった。

 

それなのに、夫は粛々と

家事をこなしている。 

 

結婚生活山あり谷あり

いろいろあったが、

今回は夫に全く頭が上がらない。

 

不謹慎だけど、

重症化しないなら、

反対の立場にならなくてよかったと

思ってしまった。

 

そして、わたしの隔離期間はあと2日。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

コロナ陽性のわたしや上のこどもが

トイレへ行くたびに

 

 

 

 

隔離生活中に人生を振り返ってしまった…

わたしと上のこともが

2日違いでコロナを発症し、

狭い寝室での隔離生活が始まった。

テレビもない部屋で、

どう暮らそうか。

 

さて、ふたりともすでに熱は下がっていて、

体調は問題ない。

言ってみたら、

急に何もしなくていい自由な時間が

与えられたようなもの。

 

こどもといえば、

すでにベッドの上でダラダラする生活に

どっぷりと浸っていて、

タブレットで動画などを見て過ごしていた。

この部屋から出られなくて

かわいそうだし、

この狭い部屋の中でケンカしたくないので、

放っておいた。

ベッドの上で飛び跳ねるのだけは

やめるように言ったが、

それでも何度も飛び跳ねていた。

 

わたしはずっと読みたかった本を読んだり、

その部屋に置いてある昔買った本や

写真を見て、そのころのことを

思い出したりしていた。

写真を見ていると、

そのころを鮮明に思い出して、

そのころに戻ったような気になった。

得意なことなど何もなかったが、

それでも、これから来る未来は

キラキラしているような気がしていた。

 

結婚して、こどもを産んで、

一生懸命生きているうちに、

目の前の現実しか見えなくなっていた。

この頃考えていたことって、

育児、お金の心配、

仕事ぐらいじゃないかと思い、

軽く落ち込んだ。

 

急に時間を与えられても

うまく使うのって難しい。

日頃、時間さえあれば、

新しいことを勉強してみたいなんて

思ってはいるけれど、

いざそうなると、

急には動き始められない。

 

やりたいことがあるなら、

すぐに始めて、少しずつでもいいから

始めておくべきだ。

そういう状態の人なら、

コロナになり、体調が戻った後の

残りの隔離期間を充実したものに

できるだろうけど。

 

それにしても、

人って慣れるものだ。

コロナに感染した時の心境は

『終わった』。

わたしたちぐらいの年齢の人は

軽症で済むとは知っていたが、

それでも、怖さはあった。

2週間出勤できなくなり、

現場は回るのかの心配や

迷惑をかけている申し訳なさもあった。

 

気をつけて生活していたのに、

何で私たち家族が、

という落胆の気持ちもあった。

 

数日経ってみると、

体調がよくなったこともあり、

人生を振り返り、

そして、反省も始めてしまった。

 

わたしの隔離生活は

続いている。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしもコロナ陽性になってしまった…

わたしが発熱し、

一晩一人だけで過ごした。

その晩、熱は出たものの、

フラフラになるわけではなく、

ご飯もそこそこ食べられたので、

コロナじゃないという希望が

捨てきれなかった。

ただ、喉がけっこう痛い、

熱が出る、

他には特に症状がないというのは

こどもと同じなのかなあとも考えながら、

一人でいつもは寝ない部屋の天井を

ながめているうちに寝てしまった。

 

翌日、病院へ行った。

3日前に来た時と全く同じ。

マスクをつけた人が乗った車が

何台も止まっていて、

看護師さんがワゴンを押して、

車と車の間を行き来していた。

 

コロナだよな、

確定だよな、と諦めが大半の気持ちで、

検査の順番を待った。

 

「陽性です」と先生に言われ、

わたしははい、と落ち着いて答えた。

 

数日前からの36.9度ほどの微熱は

コロナの症状だったことになり、

わたしの療養期間は数日前のその日から

10日間、つまりあと一週間ほどの

隔離が必要になった。

 

受診した日、

つまり発熱した次の朝には

もう熱が36.5度に下がった。

36.9度の微熱は

暑くて、熱が上がったのかと

思っていたが、

わたしは元気な時、

そんな微熱は出ないタイプの人。

コロナの症状だったんだと納得した。

それ以降熱は一切上がらない。

 

ワクチンを打って、2日寝込むを

3回繰り返したが、

熱がすぐ下がったのは

ワクチンのおかげだったのだろうか。

 

わたしの残りのコロナの症状は、

倦怠感と喉の痛みのみとなった。

 

わたしがコロナになれば、

隔離していた上のこどもとは

いっしょに過ごせることになる。

上のこどもは

不謹慎なんだろうなと思いながら、

わたしがコロナだったらいいなと

思っていたそうなのだが、

その通りになった。

ひとりぼっちになっていたこどもと

いっしょに過ごせることになり、

わたしも安心した。

 

それにしても、いつ移ったのか。

マスクをしながら、ドア越しに

コロナ陽性のこどもと

話していたから移ったとは信じたくない。

夫と下のこどもは

まだ症状が出ていない。

一体いつ?

上のこどもがコロナを発症する前は

家の中でマスクをすることはなかったし、

話しながら食事もしていたし、

いっしょに寝てもいた。

 

数日の潜伏期間のズレで、

上のこどもが先、わたしが後に

発症したということなのだろう。

じゃあ、夫やと下のこどもも

今潜伏期間中なのか。

 

夫と下のこどもの自宅待機期間は

わたしとの接触を断ってから、

さらに5日。

振り出しに戻ってしまった。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしが発熱してしまった…

上のこどもの熱は下がり、

大事には至らず、回復してくれた。

わたしはこどもの世話をしながら、

在宅で仕事をした。

 

以前にもネットスーパーを利用したことが

あったので、食料はOK。

ほんとうに助かった。

 

わたしたち家族は

自分たちがコロナにかかる心配と

常に隣り合わせ。

わたしも気がつけば体温を測っていた。

熱は36.9度ぐらいで、

「はあ、よかった、大丈夫だ」

と、確認していた。

ただ、なんだか疲れる。

慣れない机で、

パソコンに向かって仕事をしているので、

肩が凝っているのかと思って、

マッサージ器具を探し、

ぐりぐり肩をほぐした。

いつもなら、夫やこどもに

「お願い」と言って、

マッサージしてもらうのだが、

だれかと触れ合うというのも気がひけるし、

みんなギリギリ

家庭内でコロナと闘っているので、

何かをお願いする気には

なれなかった。

 

ときどき、横になって休んで、

家事や仕事をこなしていた。

自分の中で

嫌な予感があったのか、

体温を測っては、36.9度で安心するというのを

繰り返していた。

 

その日の仕事を終えて、

晩ごはんに筑前煮を作っていた。

面倒くさいメニューだけど、

コロナになったこどもに

食べさせてやりたいと思ったのだ。

材料を全部鍋に入れて、

あとは煮込むというところで、

どうも体がしんどいので、

また体温を測ってみることにした。

毎回測っている間は怖い。

上がっていく体温を見ながら、

「上がるな、上がるな」と

祈ったが、どんどん熱は上がり、

37.8度になってしまった。

 

怖かったが、

別の部屋でまだ仕事をしていた夫に

このことを伝え、

家族から離れるため、

誰もいない玄関に行った。

 

まだ信じたくなくて、

今日はエアコンが効きすぎて、

すこし寒かったし、

心配事も多いし、

さらに家事も増えていたので、

疲れから来たふつうの風邪かもしれないなどと

考えていた。

 

これで、わたしはコロナか

どうかわからない体調不良の人になり、

上のこどもとも別の部屋で

隔離されることになった。

 

病院へ行くのは次の日。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

コロナがうちにもやってきてしまった…

コロナがうちにもやってきた!

 

夜こどもが夜熱を出したので、

夫とわたしは一瞬固まってしまったが、

こどもをなんとか隔離した。

喉が痛い、高熱という

こどもの症状から、

PCR検査の前も

完全にコロナだと思った。

 

翌朝かかりつけの医者を受診した。

当然のごとく、陽性。

医者に陽性と言われても、

驚かなかった。

ついにうちにも来たという感じ。

近所のかかりつけの病院に行ったら、

マスクをした人が乗った

エンジンをつけたままの車が

何台も止まっていて、

わたしの住んでいる街も

こんなことになっていたんだと驚いた。

毎日ニュースで陽性者何人と

見ているのと、

そこに病気の人がいるのとは

全然違った。

 

暑い中駐車場で

検査をしてくれる看護師さん、

薬を車に届けてくれる薬剤師さん。

かかりつけの病院が

この街の医療を止めないように

がんばってくれているんだと

心から感謝した。

 

陽性が出たら、

あとは家族で乗り切るしかない。

こどもを隔離し、残りの家族は自宅待機。

やるしかない。

 

こどもを二階の部屋に隔離した。

熱があり、しんどいのに、

いっしょにいてやれないことが

つらい。

急にコロナ陽性になり、怖いのに、

ひとりぼっちで

隔離されなければならない

不安そうなこどもを見ると、

不憫だった。

 

こどもを隔離し、世話をするのは

一人に絞るべきだということで、

わたしがその役に志願した。

ごはんを持っていく、

お皿を下げるぐらいのことは

わたしがしてあげたかった。

 

わたしは何とかこどもの近くにいたくて、

隔離している部屋のドアを閉めて、

わたしとこどもとお互いに

マスクもして、話していた。

それを下のこどもと夫に

良くないと指摘されて、わたしは怒った。

こどもだって、ニュースで

毎日第七波だの、医療逼迫だの

聞いているその病気に

自分がなってしまったら、

怖いだろうに、

近づいてはいけないなんて、

かわいそすぎる。

 

怖い怖いと思っていたコロナに

家族がかかってしまい、

家族みんなが落ち着かず、

混乱していた。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

このようにして、わたしたち家族の

コロナとの戦いがはじまった。

 

 

仕事をしていないと、輝けない?

子育てはなんとかがんばった上で、

仕事もするのが素晴らしい

という世の中の風潮。

世の中の人は

楽しい仕事をしているのかな。

 

わたしは

子育てと仕事とどちらもしていて、

どちらもうまくいかないと感じている。

わたしはお金がたっぷりあったら、

働きたくない。

今している仕事は元々やりたいと思って

始めた仕事だったのにだ。

それでも、お金に余裕があれば

やめたいと思っている。

 

仕事は理想だけではない。

仕事には不条理なことがたくさんある。

上からの指示で、

無駄なことや変なことを

お金のためにやらされるのだ。

 

まこどもがいる人は

時短勤務でサッと帰っていくのに、

職場の周りの人はその尻拭いを

させられているみたいなSNSを見た。

子育てと仕事を両立しようとすることが

周りに迷惑をかけることにもなるなんて

救いがない。

 

わたしの子育てと仕事を

続けてきた今までを振り返ってみる。

 

体の調子が悪くても

仕事に穴は開けられなかった。

休み時間には机に突っ伏して休んで、

休み時間が終わると、

力を振り絞って

働いていた時期もあった。

 

こどもがもっと小さい時は、

よく熱を出した。

わたしは職場の人に迷惑を

かけたくない一心で、

いつもより朝早く熱があるこどもを

車に乗せてうちを出て、

義母のうちまで車を飛ばして、

義母に申し訳ない気持ちを

持ちつつ、こどもを預けて、

問題なんてありません的な

顔をして、職場に行っていた。

義母だって、1日小さいこどもの

世話をするのは大変なことだと

分かっていても、そうしてしまっていた。

 

そこまでしているのに、

仕事は変なことや無駄なことを

やらされるのだ。

 

働いている女性が輝いているなんて

ことばに踊らされてないだろうか。

たまたまどちらも

うまくやれている人もいて、

うらやましい限りだが、

その姿だけが輝いているなんて

言われるのも腑に落ちない。

 

子育てと仕事の両立が命みたいな人の

話を見かけるたび、

働くことって

そんなに素晴らしいことなのかと

思ってしまう。

 

また、世の中の雰囲気もいやだ。

働いていることがよし、

働いていない人は

楽しているみたいな雰囲気。

 

わたしのともだちの中では

働いている人が多い。

働いていない友人が

肩身が狭いと感じているような気がして、

変な感覚になる。

 

今子育てと仕事がつらいのに、

働く女性が輝いているみたいな記事を見て、

どうすればいいんだと

嫌な気持ちになった。

 

みなさん、お金があっても

働きます?