コミトミコお母さんの試行錯誤

使っていない頭を動かして、考えたことのまとめブログ

ストレスを感じたら気をつけたいこと

去年は急に仕事が忙しくなり、

精神的に辛い年だった。

みなさん、ストレスはそれぞれあると思うが、

意外に簡単にやばい感じになるってことを

伝えたい。

 

わたしの場合は会社の年下の部下に

嫌われていると思ってしまった。

仕事が少なかった時代は

軽口を言い合って、笑いながら

お互いの状況を心配し合いながら

仕事をしていた。

お互いひまだから、

別に自分でできることでも、

手伝ったり、手伝ってもらったりしていて、

安心感を持って、働いていた。

 

だんたん仕事が忙しくなって、

ほんとうに助けてほしいとき、

笑顔で助け合えなくなった。

それでも、わたしは手伝おうとしたが、

用事以外のことは話せない雰囲気になり、

その後は仕事のことも

話しにくい感じになった。

 

前は気にならなかった

その部下の挨拶の声が小さいことも、

またわたしが何か気に入らないことをして

怒らせてしまったのではないかと

話しかけるのがおっくうになり、

そのうち怖くなった。

 

狭い部屋に机を並べて

仕事をしていても、

どうしても話さなければ

ならないことがなければ、

一言も話さず、

最後に「お先に失礼します」とだけ言って、

帰ることもあった。

 

また、わたしの上司も仕事が忙しく、

やばい状況だったのだろう。

会社に優しさが全く無くなり、

殺伐とした雰囲気のまま、

それぞれが一人でやらなきゃならないことに

格闘しているような日々だった。

 

そして、わたしは仕事が忙しい上に

人間関係のストレスも相まって、

去年は仕事以外に何をしたか

よく思い出せない。

 

お正月で少しの間会社から離れ、

家族とのんびり過ごして、

かなりリフレッシュできた。

家族がいて、ありがたいなあと実感できた

お正月だった。

 

年が明け、数日前から会社に戻っても、

わたしはまだ

そんなにやばい精神状態にはなっていない。

しごとがいくら嫌でも、

いっしょに遊んだり、出かけたりできる

家族がいたんだとよく認識できているからだ。

 

人間、つらいときは

他の自分にとっていいことにも

目が向けられず、

嫌なことて頭の中がいっぱいになり、

やばい精神状態になってしまうのだ。

去年のやばい精神状態のわたしに

言ってやりたい。

別に仕事だけが

わたしのしていることじゃないのよ、と。

 

でも、辛い状況は

他の親切な人や

わたしを好きでいてくれる人さえも

見えなくしてしまう恐ろしい力がある。

 

人間の心ってこうやって

いっぱいいっぱいになるんだな。

わたしは今まで精神を病むなんて

一度もなかった。

夜、布団の中で涙が出てきたり、

仕事の不安が頭の中をぐるぐる回ったりなんて

経験したことがなかった。

精神的なストレスは

強い気持ちがあれば、へっちゃらと

思っていた。

でも、そこまで追い詰められたことが

なかったってだけ。

 

そんなに仕事が大変だったか?

年上の部下はわたしを嫌いなのか?

(たぶんけっこう嫌われている。何か嫌なことをしてしまったんだと思う)

世の中にはもっと大変な人、

いくらでもいるだろうな。

などと、今は思う。

 

また、もう一つ思ったことは、

精神的に元気な人には

なかなか辛さは伝わらない。

わたしは夫に全部話して、

泣きついていたけど、

それ以外の人には辛い状況を話せなかった。

 

今はさらにひどい状況にならなくて、

よかったとしか言えない。

人間は意外に簡単に辛くなるって、

ほんとうに気をつけてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の目標

新しい年が来た。

しかし、人生を折り返すくらいの

年齢になると、

新しい年が来たなという感覚が薄れる。

 

年末年始を

恒例の終わるまで終われない大掃除をし、

子供に日本の風習を少しでも

体験してもらいたくて作る

おせち料理数品を作り、

親戚の集まりなどをこなしていると、

落ち着く暇もなく

仕事が始まり、バタバタの毎日に

突入して、気がつけば春がきて、

あらあらと言っているうちに

夏が終わり、また冬が来てしまう。  

 

これでは成長がない。

だから今年は目標を立てようと思う。

 

年賀状を見たり、人に会う機会が多いと、

いいなあ、あの人は。

それに比べてわたしは全然違うなあと

他人と比べて、わたしはこれでいいのかなあと

思ってしまう。

正月早々、わたし、大丈夫か?と

不安になってしまった。

これではいけない。

 

今年の目標は

「他人と比べない」だ。

なんでも上手にこなす周りの人を見ていると、

自分が頑張っていない気がしてしまい、

凹んでしまう。

でも、わたしがしたこと、

持っているものを思い出すと、

わたしはしっかり自分がほしいものを

手に入れていると思うのだ。  

 

まず、仕事。

わたしがやりたいと思って、

勉強して始めた仕事。 

今まで何とかやってこられた。

まだ上手にやれているわけではないが、

それでも自分がやりたいと思ったこと。

これからどうなるかわからないけど、

今まではよくやった。

 

 

結婚。高給取りではないかもしれないが、

いいと思った人と結婚し、

今は二人のかわいい子供を育てている。

けんかばかりだけど、

でも、楽しいと思える時も、

幸せだとと思える時もたくさんある。

 

家。これも自分たち夫婦が家を建てて、

そこで暮らすなんて難しいと思ってた。

でも、考えに考えて自分達に合った家を

持つことができた。

ローンを返すには途方もない時間と

労力が必要だ。

でも、がんばって返している。

 

とりわけ素晴らしいことなどないが、

自分がいいと思ったものは

自分で手に入れてきた。

自分の周りを見回すと

大切な人やものがある。

 

うちより大きいステキなうちは

いくらでもあるし、

給料が高い夫婦もいくらでもいるし、

楽しそうな仕事をしている人もたくさんいる。

でも、それはわたしが望んだことではない。

だから、羨ましいなどと考えることに

何の意味もないのだ。

 

他人は他人。わたしはわたし。

これで、不安な気持ちの大半は

なくなるでしょう。

健やかに暮らせる一年になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしを含めてまともな人なんていない

きょうは仕事ていろんな人を見た。

ふだんは職場でいつも同じ人と

働いているので、

世の中の人たちがこんなにも

変な人が多いのかと思った。

 

まず、業界によっては、

スーツのズボンがぴっちりしていて、

足元は裸足にオシャレっぽい靴を

履くというスタイルの人が多く集まるらしい。

 

傍からから見ると、

おばさんっていう年齢の女性が

仕事で会った他人に

自分のどうでもいい身の上話を

タラタラと話し続けていて、

ぎょっとした。

 

おじいさん的な見た目の人は危ない。

どうしても態度がでかい。

まずは自分がどこまでやれるかが

直視できていないのに、

それでも夢を語っている。

 

 

 

仕事ができないと思っている人に伝えたいこと

友人、周りの人から

仕事ができない人の話をよく聞く。

仕事ができない人について

不満を言っている人の話を聞くと、

いろんな理由をつけて、

仕事ができないと言っている。

仕事ができる人とできない人の

ちがいはなんなのか。

 

わたしはたぶん仕事ができない。

面と向かっては教えてくれないが、

きっとそうだ。

さまざまなことを

同時にうまくこなすこともできないし、

かと言って、一つのことを追求して、

きっちり片付けていくこともできない。

そして、別に大した仕事をしている

わけでもないのに、

変に責任を感じて、

会社でしなければならないことが

進まないと、精神的に辛くなってしまう。

わたしにとやかく言ってくる人は

わたしの仕事ぶりを見て、

わたしの鈍臭さにイライラしているようだ。

 

 

わたしに不満を言ってくるまわりの人は、

みんな仕事ができるのか。

そして、その人の周りにいる同僚や上司は

仕事ができないということか。

そんなことはない。 

わたしはみんなただ勘違いして、

周りの人が仕事ができないと

思っているだけなんじゃないかと思ってる。

 

実は知らないところで、

逆にその人の同僚や上司から

仕事ができないと言われているんだ。

わたしの周りにいる人だけ

仕事ができて、

その人の同僚や上司だけが仕事ができない

なんてことはあり得ない。

 

みんな勘違いしているだけ。

自分には見えないものがあるだけ。

 

仕事ができると勘違いし続けられる人は

幸せだ。

仕事で迷惑をかけられている

(実際はそんな気がしているだけ)という

不満はあるけれど、

ずっと優越感を感じていられるからだ。

でも、実は周りの人から

あいつは仕事ができないと思われているんだ。

 

図々しくも、仕事ができると

勘違いしている人が健やかに暮らし、

心配症の人の精神を削ってる。

 

わたしみたいな心配症の人に言いたい。

仕事ができそうに見えている人は

あなたの目から

仕事をうまくこなしてそうに

見えているだけで、

ほんとうはそうでもない。

 

ほんとうに仕事ができるなら

評価されて、

しょぼいところにはいないはず。

 

結局お互い様ってことだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スーパー主婦はもう古いんじゃない?

久しぶりにスーパー主婦が書いた

家事に関する本を

図書館で借りて読んだ。

 

結婚したてのときには、

こんな類の本をたくさん読んで、

妻としてはどうあるべきかを学んだ。

そこに書いてある話は

わたしがこどものときから

母に聞いていた話と同じだった。

 

冷凍食品は使うもんじゃない、

食事はバランスよく品数も多く、

妻たるものは

家事全般を取り仕切り、

外で働きたければ、プラスアルファで

全て自分でやる、

という内容。

 

こどもが生まれたら、

母乳で育てるんだ、

布おむつを使っているお母さんって

頑張っているよ、布おむつを

取り入れてみたらどうか、

離乳食は手作りで、  

みたいな内容の本を読んで、

これはできているな、

できていないからやばいな、

なんてチェックしながら

読んでいた。

 

この頃は食洗機や電気鍋など

使えるものはうまく使え、

ある程度でいいんだ、

効率を考えろ、

お金をかけて、

家事をアウトソーシングしようと

声を上げている人たちもいる。

そして、

よくも悪くも子育て、

家事に慣れてきたわたし。

昔読んだスーパー主婦本の通りには

できないことをよく理解している。

 

いい妻、いい母になるために

一生懸命読んだ本を久しぶりに読んで、

少し怖いなと感じた。

昔これだけが正解と思って読んでいたわたしは

目指すべきところはこことしか

思っていなかった。

でも、時間が経ち、

違う考え方の人の話も聞いて、

あれたけが唯一の正解ではないと

理解したわたしは、

妻、母ってこうあるべきという本

の内容に疑問を感じてしまったのだ。

 

そして、今わたしがやっているのが

家事を家族で分担し、

共働き時代を乗り切るという役。

今はこれが新しく、正しいと

思われている。

この頃、何が何でも共働きを

続けるべきって本も読んだ。

 

でも、これにどっぷり浸かるのも

いけないよな。

これも一つの考え方ってことを

よく覚えとかないとな。

 

今は新しいけど、その時代には

古くなってるかもしれない考え方を

こどもには押し付けないようにしたい。

 

 

 

 

 

 

 

こどもと別々に寝る決意

 

こどもたちが生まれてから

こどもたちといっしょに寝て早10年ほど。

わたしはこどもと寝るのが好きだ。

 

字を書いたり、

パソコンを使ったりして

文明的な生活をしていても、

結局同じところで寝ると安心するなんて

わたしって動物だなと、

自分の動物の部分を感じられて

おもしろいと思っていた。

 

でも、いつかはこどもとはいっしょに

寝られなくなることは知っていた。

わたしはいつこどもと別々に

寝る日が来るのか、

こどもが5歳くらいのときから

ビクビクしていた。

ほかの親たちは

どのくらいこどもと寝るのがすきなのか。

 

冬はこどもにくっついてあったまり、

夏は部屋をエアコンで涼しくして

こどもにくっついて寝ていた。

こどものぷにぷにの肌を

モミモミして癒されて寝る生活を

いつやめるのか。

わたしの大問題だった。

 

でも、こどもたちが成長するにつれて、

家族で寝ていた寝室が手狭になってきた。

こどもたちの友達は自分の部屋で

ひとりで寝ているという話が

チラホラ聞こえてきた。

 

自分はというと

けっこう大きくなるまで

親といっしょに寝たかった。

いっしょに寝たいと言ったのを

母に断られたことが少しだけ

寂しかったことを思い出した。

 

でも、あと1、2年これを

続けることはできても、

それ以上は無理だし、

こどもの成長を邪魔しているような気がした。

こどもと寝るのはそろそろ終わりかなと

思った。

それで、思い切って、こどもたちのベッドを

購入することにした。

 

こどもたちはベッドを買ってもらったことが

うれしかったようで、

一生懸命組み立てを手伝った。

そして、そんなに寂しがりもせず、

夜自分のベッドで寝た。

 

わたしはあっさり自分で寝たこどもたちの

成長を感じる反面、

こどもが生まれてからの

食べたり、トイレへ行ったり、

寝かしつけたりという

生活の世話をする段階が終わったんだと

寂しかった。

 

これからもこどもとの生活は

続いていくが、

これからはすることが変わっていくのだ。

 

こども中心だった生活に慣れきっていたが、

これからは自分の時間が少しずつ

増えていくのかな。

今まで時間がないなんて、

なげいていたけど、

こどもの直接的な世話がなくなり、

こどもはともだちと遊ぶのが楽しくなり、

わたしって暇になるのか。

休みの日の時間をどう過ごすか

考えないとな。

 

 

 

 

コロナになって、気づいたこと

今まで時間がないと嘆いて、

家事を時短できれば、

仕事をしていなければ、

もっと好きなことができるのに、

この家事と仕事を

こなさないといけないわたしは

人生のそういうフェーズだから、

しょうがないと思っていた。

 

そんな忙しい日々を過ごしていて、

先日コロナに感染した。

熱はすぐ下がり、

そんなに辛い症状はなかったのが

不幸中の幸いだった。

 

他の家族にうつしてはいけない

ということで、

隔離部屋にこもることになった。

他の家族が生活しているところには

行けないので、家事ののすべては

夫がしてくれていた。

 

在宅で仕事はしていたが、

仕事の時間が終われば、

隔離部屋で過ごす長い時間があった。

図書館で借りてきてあった本を

読めたことはよかったと思う。

ただ、ほかにしていたことと言えば、

ぼんやりTwitterを眺めたり、

ゴロゴロしたり。

わたしが持っていた

『時間さえあれば、好きなことが

できるのに』という生活のイメージからは

かけ離れていた。

 

わたしのこどもは

毎日学校が終わったら、

わたしが働いているので、

放課後児童クラブに通っている。

こどもたちは習い事をしていて、

その習い事にいくのがとても好きだ。

練習したら、もっと上手になれるけど、

日々そんなに練習はできていない。

お母さんが放課後児童クラブに

迎えに来るのが遅いから、

習い事の練習ができないんだと言われて、

グサッときていた。

 

わたしが仕事をしていることで 

こどものやりたいことを

やらせてあげられないのか、

こどもに少しでも可能性があるなら

金銭的な理由で、それができないのは

かわいそうだからと思って、

働いていたのだが、

そのせいで好きなことの練習が

できないと言うのだ。

 

でも、そのこどもも夏休みで

やることがない上に、

家にいるしかない自宅待機の期間に、

今までわたしのせいでできないと言っていた

練習をすることはできていなかった。

 

わたしと同じ結果。

 

今までは家事をしなければならない、

仕事をしているからなどと理由をつけて、

やりたいことができないんだ、

「仕方がない」で片付けていた。

 

でも、時間があってもできない

というのがよくわかった。

 

やりたいことが

ぼやっとしていて、

何をやったらいいかが見えていない。

目指すものがあるなら、

すぐに始めるべきなのだ。

わたしが何かやりたいことを始めて、

毎日短い時間でも

それを続けていたとする。

今回のようにコロナになって、

暇な時間がふえたら

それにもっと時間を使えばいいだけ。

暇な時間が急にできても、

急にゼロから始めるのは大変だ。

 

たしかにわたしが家事、

仕事を頑張っていないわけではないのだが、 

だからといって、

やりたいことができないわけではない。

今から何を急いでやろうとしているのか。

締め切りがあるわけでもない。

やりたいことを始めて、

一歩でもはじめていれば、

その過程を楽しむこともできるのだ。

 

コロナになって、気づいたこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、